知識

3/8 講演「十一面観音菩薩その由来と魅力を探る」(草津コミュニティ支援センター)に参加しました。
知識 · 12日 3月 2024
3/8 講演「十一面観音菩薩その由来と魅力を探る」(草津コミュニティ支援センター)に参加しました。 講師は近江の文学研究者のいかいゆり子氏です。 滋賀県は国指定の文化財が大変多い件です。1位の奈良496件、2位の京都424件に次ぐ滋賀は3位で380件もあり、4位の東京215件をしのぎます。その仏像の中でも4分の1が観音像です。 観音像の中でも、十一面観音像が何故多く存在し信仰されてきたのかが紹介されました。

2/23 特集展示「源氏物語と大津」記念講演会に参加
知識 · 23日 2月 2024
2/23 特集展示「源氏物語と大津」記念講演会に参加しました。 講師は、岩坪健氏(同志社大学教授)。 源氏物語と大津との関係については、紫式部は石山寺で源氏物語が書き始められたという伝説が古くからあるからです。また逢坂の関も、よく物語に描かれています。実は琵琶湖も別名で、和歌に詠まれています。そして紫式部集には琵琶湖周辺の地名が散見され、これは実際に紫式部が訪れたと考えられるからです。講演会では、源氏物語と大津との深い関わりについて読み解かれていきました。 https://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/2310.html

2/18 現地見学「永原御殿 連続講座近江の城郭 徳川家康と近江の城」に参加
知識 · 20日 2月 2024
2/18 現地見学「永原御殿 連続講座近江の城郭 徳川家康と近江の城」に参加しました。 史跡の永原御殿は、野洲市永原にあり、江戸時代初期に徳川家康・秀忠・家光の三代の将軍が江戸と上方を往来した時に宿泊した将軍専用の城郭です。現地には大規模な土塁や堀などの城郭遺構がよく残っていました。 野洲市では令和2年の国史跡指定を受け、今後は史跡公園にしていくそうです。 https://www.city.yasu.lg.jp/soshiki/bunkazaihogo/nagaharagotenato/1652272921352.html

2/17 講演「東海道57宿の諸相~53宿(次)が広く知られているのはなぜか~」(くさつ歴史発見⑤)に参加
知識 · 20日 2月 2024
2/17 講演「東海道57宿の諸相~53宿(次)が広く知られているのはなぜか~」(くさつ歴史発見⑤)に参加してきました。 講師は、草津宿街道交流館館長・岩間一水氏。冒頭は「五街道と宿駅制度について」分かりやすく説明がありました。 そして、本題である「東海道は53宿か57宿か」についての考察です。様々な文献、道標に刻まれた道の呼称から、江戸幕府は江戸の日本橋から大坂の高麗橋までの間の57宿と捉えていたようです。 しかし、庶民の捉え方は違っていたようです。庶民にとっては京も三条橋までの間の53宿が東海道と捉えていたようです。 なぜこうした違いが発生したのでしょうか。それは江戸の後期に庶民の間にブームになった旅行があります。この時代、多くの旅のガイドブック「名所絵図」が登場します。 なかでも葛飾北斎の「東海道五十三次」、歌川広重の「五拾三次」の影響は大きく、さらに庶民の旅行への興味関心を盛り上げていきます。 江戸の庶民にとって、ゴールは大坂ではなく憧れの京であったのです。京までの道のりを「名所絵図」として浮世絵師は魅力的に描きます。 体制の考え方と庶民の考え方に違いがあっても

2/15 膳所歴史サークルの歴史講座「奈良・平安時代の膳所」に参加しました。
知識 · 16日 2月 2024
2/15 膳所歴史サークルの歴史講座「奈良・平安時代の膳所」に参加しました。 古代の膳所は、文献資料も少なく分からい事が多くあります。そんなことから興味を持ち参加してみました。 講師の松浦俊和氏(元大津市歴史博物館副館長)よると、奈良時代の膳所の特質すべき歴史的出来事は聖武天皇の東国行幸だといいます。 何故、聖武天皇は5年余をかけて東国行幸したのか、その理由を読み解きます。 藤原氏の影響力のなか、聖武天皇は天武天皇の理想とみていたのではと考察します。 それは東国行幸の行程と天武天皇の壬申の乱の行程があまりにも似ているからです。 その行程に粟津の頓宮があります。ここに3日も滞在するのですが、それはこの地が粟津岡と呼ばれ、大友皇子の近江朝軍の最終集結地がここだったからだろうと考察します。 聖武天皇は、天皇自らが政治を行った天武天皇を理想とし、5年余の時間をかけ東国行幸をしながら多くの宮を造営を行いました。 奈良時代、その歴史的痕跡を粟津の地に見ることができるのです。 平安時代の粟津は、木曽義仲の粟津の合戦を中心に歴史的謎を読み解いてくれました。

2/14 「織田信長と近江 天下布武への道(4回シリーズ)」の1回目「琵琶湖の水域」の歴史講座に参加
知識 · 15日 2月 2024
2/14 「織田信長と近江 天下布武への道(4回シリーズ)」の1回目「琵琶湖の水域」の歴史講座に参加しました。 講師は大沼芳幸氏(元安土城考古博物館副館長)で、白洲正子の近江感をベースにした歴史講座や織田信長の近江での戦いの戦略的意味をシリーズとした歴史講座を行っておられます。 今回は、織田信長が天下取りを進む道においての4つの重要キーワード「琵琶湖の水城」「姉川の合戦」「比叡山焼き討ち」「城と石垣」の「琵琶湖の水城」の講義でした。 講師によると、近江の個性的な戦国文化には、「琵琶湖の水城」の存在があるといいます。それは、織田信長が天下取りを進める中で琵琶湖の持つ水運の重要性に強く意識していた事によるものだといいます。 琵琶湖を取り囲む水城(坂本城、長浜城、大溝城)と安土城は、信長の琵琶湖航路の掌握のための戦略的施設であるとします。 本能寺の変以降も、琵琶湖航路の掌握は豊臣秀吉、徳川家康にも継承され、古代・中世・近世の通して日本の物流の中枢をなす水上航路・琵琶湖の戦略的重要性は変わりませんでした。

2/11 戦国武将・明智光秀が築いた「坂本城」の発掘調査現地説明会が開かれました。
知識 · 14日 2月 2024
2/11 戦国武将・明智光秀が築いた「坂本城」の発掘調査で、30メートルにわたる石垣などが見つかり、現地説明会が開かれました。 戦国武将の明智光秀が琵琶湖畔に築いた大津市の坂本城跡(16世紀後半)で、長さ約30メートルの石垣や堀が見つかったと大津市が2月7日発表しました。坂本城は地上の痕跡が残っておらず、絵図もないため「幻の城」とされていました。今回の発見は、専門家によると城の実態解明につながる大きな発見だと評価しています。 坂本城は、1571年に比叡山を焼き打ちした織田信長が、支配拠点として光秀に築城させます。しかし、ほとんど城の痕跡が残っておらず信長の安土城に次ぐ、光秀の「幻の城」として注目されてきました。 ポルトガル人宣教師のルイス・フロイスによると、豪華壮麗さを「安土城に次ぐ」と評しました。1582年の本能寺の変の後に焼失しますが、丹羽長秀によって再建され、大津城築城にともなって移築、廃城になったとされます。詳細な記録は少なく、規模などはわかっていませんでした。 そうした中、今回宅地造成のため、昨年10月から大津市が約900平方メートルを調査をしました。

2/10 講演「非営利セクターの最前線 気鋭の政治学者・白井聡氏と読み解く」(ピアザ淡海)に参加
知識 · 12日 2月 2024
2/10 講演「非営利セクターの最前線 気鋭の政治学者・白井聡氏と読み解く」(ピアザ淡海)に参加😊 評判通り、なかなか刺激的な言葉を発言する政治学者で、多くのNPO関係者が参加していました。 「今の大学はクソ!」 「日本は今まで、やってはいけない事をしてしまう国だ」 「日本はどんどん衰退していく!」 「日本は中国とやってはいけない戦争をやるでしょう!」 相当に過激な言葉の連続ですが、その背景には約40年近く続く新自由主義があるといいます。 新自由主義は、資本主義の最終段階ですべてのものを商品とみなし資本の蓄積を追及する考え方で、資本の蓄積に節度がなくなってきたそうです。 その中で何が起こったかというと、公的な空間と私的な空間の区別が明確になってきてあいまいな空間がなくなってってきたといいます。 あいまいな空間は、管理する側から不安でならないため徹底的に排除をするようになっていき、規則やルールが厳しくなってきたそうです(特に大学内で)。 社会は、どんどん縮こまり不自由にあり、多くの人は自己規制し気概のない器の小さい人物なってきているのだといいます。 そうした社会の中にい

2/10 「広重の浮世絵にみる近江の名所と景観~近江八景における実景描写について~」(くさつ歴史発見)に参加。
知識 · 12日 2月 2024
2/10 「広重の浮世絵にみる近江の名所と景観~近江八景における実景描写について~」(くさつ歴史発見)に参加😊 歌川広重の絵の革新性を、葛飾北斎などの有名な浮世絵師との比較から読み解く講座でした。 ただ、江戸時代の風景画と見ていた彼の絵でしたが、広重の視点は当時の他の絵師とは全く違ったものでした。 従来の絵師の名所絵図は、旅の解説書の名所・土産物を絵で表現するものでしたが、彼はその土地と人々の生き生きとした特徴を表現するものでした。 特にその土地の最もその土地らしさを発見し生き生きと描きます。これは、私たちのツーリズム活動に示唆を与えてくれます。 彼によって、日本の風景が革新させていくのです。さらには、広重の絵はヨーロッパの印象派に大きな影響を与えました。 こうした考察は、ワクワクしますね😊 https://www.city.kusatsu.shiga.jp/kusatsujuku/koryukan/koryukan20231206.html

2/9 サスティナブルツーリズムとは?
知識 · 09日 2月 2024
2/9 サスティナブルツーリズムとは? 〇 サスティナブルツーリズムとは、**「持続可能な観光」**という意味です。従来の観光開発や観光客の行動によって生じる環境破壊や文化の悪化、過度な商業化を避け、観光地本来の姿を保ちながら、地域社会の持続的な発展を目指す観光の形です。

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